深い(^_^;)。
⚫︎「悟り」には先がある
コ: 仏教でいうところの「悟り」は、ある意味、ヌーソロジーにとってはスタートラインのようなものになっているのではないでしょうか。
ジ: 仏教的な悟りを「スタートライン」と見なす考え方には大きな可能性を感じます。仏教における悟り、特に「一切は空」という理解は、自己や現象が固定的な実体を持たないという認識であり、それにより執着や苦から解放されるためのものです。これは、個別の視点から本質的な空性を悟ることで、ある意味で内面的な自由や安定に至る境地です。
ヌーソロジーにとって、この「空」という認識は自己と他者、内包と外延の関係をさらに深く、構造的に展開していくための基盤、つまり出発点となります。悟りに至って生まれる「空」という認識は、ヌーソロジー的な探求においては、自己と他者の関係を反転させて捉える高次元認識への扉であり、存在の仕組みや空間の成り立ち、さらには内包空間から外延空間への反転を理解するための足がかりとなるわけです。
ですから、仏教の悟りが「あるがままを見る」という内的な認識の完成形であるとすれば、ヌーソロジーはその認識をさらに拡張し、自己と他者、意識と空間が織りなす次元構造の中での生きた関係性を見出し、生成し続けることができるという新たな可能性を提示していると言えます。