少し前に、とんねるずのみなさんのおかげでしたという番組をたまたま見ました。「オーガスタ全落」というタイトルで、タレントを偽の仕事で呼び出して落とし穴に落とすという内容のものです。
ここで落とされたタレントは、素の自分をさらけ出します。
人によっては怒り出す人もいますし、冷静な人もいますし、ついポロって本音が出るのです。ですから、人の良さや悪さなど、本来テレビの画面では見せないような姿が見れます。
この番組の中で、私が新たに好感を持った人は、ダレノガレ明美さんという方です。詳しく走りませんが、モデルさんですね。
今風のオシャレな出で立ちと、言葉遣い。普段なら、興味関心を持たないのですが、彼女が落とし穴に落とされて、語る言葉、仕草などに好感を感じました。
その理由は、自分をさらけ出しているから。
私は自分をさらけ出す人、つまり正直な人が好きなんだなと感じました。
だから、自分も正直でありたいと思うし逆に不正直な人に出会うと、嫌悪感を感じます。
うちの妹はよく嘘をついた時期があり、その時私は烈火のごとく怒り、「なぜ嘘をつくんだ」と怒鳴ったことが何度もあります。
ですが、嘘をつくのは目的があります。それは「自分を守るため」です。
私もつい自分を守るために嘘をつくというかごまかしてしまうことがあります。ですので、本当は妹を責めるのは自分を責めることでもあります。このように人を責めて自分を常に正当化しようとするのもやはり「自分を守るため」です。
人は弱いので、自分を守るのに必死なんでしょうね。
話しは少しそれてしまったのですが、もし、人に好かれようとするなら「自分をさらけ出す」ほうがいいです。
自分の弱みを見せたり、かっこ悪いところを見せたり、正直な気持ちを言ったり、。
すると、これを見たり聞いた人は、安心ができて信頼ができるのです。
これって、昨今、企業で起きている不祥事や都知事の辞任問題でも言えることですよね。
三菱自動車は、燃費で不正を隠してしまったのですが、正直であれば今のような事態にはなっていません。
舛添さんは正直に自分の不正を告白していれば、辞任にならなくても済んだもしれませんし、辞任したとしても今のように信用を落とさなかったはずです。
不正直であることは、一見得なように見えますが、それは一時的なものです。怖いかも知れませんが、正直であるほうが結局、得になります。
これってたぶん理屈ではわかっても、感情が先にたってしまってつい、不正直になってしまうのでしょうね。
ただ、不正直である人に対して、その不正直を責めてしまうことは、自分を正当化しようとすることで先ほどの私が妹を怒ってしまうのと同じことです。
誰かが嘘をついたとき、嘘をついたことは事実で、嘘をつきましたねと言うのは、問題ありませんが、だからといってその人の存在自体を否定するのは、よいことではないと思います。
舛添さんの件だと私もこの方の嘘には怒りを覚えたのですが、最後辞任したあとにまでさらに責め立てている人を見ていたら、かわいそうに思いました。
不正を働いたといっても金額は今までの政治家の不正に比べてずっと低いですし、何しろ辞めてしまうまで精神的に追い込まれている状態に見えたので、まるで弱いものいじめのようにも見えたからです。
これは自分への自壊も込めての言葉ですが、いかなる時でも
「正直であれ」
だと思います。