人って無意識に自分を守ろうとしたり、気持ちよい感情を味わったり、ネガティブな感情を拒否するために、行動しています。もちろん、意識的にもほぼそうです。

これはある意味、「幸せゲーム」。

幸せを求めて、あれこれと行動したり考えたり。それが経験をするベースにもなっていきます。

実際に幸せになれるかというと、たぶん、なったりならなかったり。

安定しない振り子のように行ったり来たり。

悟ったらこれから脱出できるのでしょうか?

それとも悟っても変わらないのでしょうか。

それとも悟ったら幸せゲーム自体どうでもよくなるのでしょうか?

正解は…わかりませんが、幸せ自体がエゴの妄想だとしたら何も気にならないということかなと思います。

ただ、悟り体験をとても心地よいものとして捉えている人もいるが、逆にそうでないように捉えている人もいるので、なんとも言えませんが。

でも、エゴとしての自分はこの幸せゲームに今、いるわけなので「どうしたら幸せを感じられるか」を工夫して生きていくしかないでしょう。

もちろん、それがどうでもよくなるような境地になればそれはそれでよいのでしょうけど。

最近、意識的に考えない時間を作ってます。考えない時、本当に静寂で悩みは消えます。

ただし、考えはまたやってきますから、考えると「うーん」と苦しみがやってきます。

考えるのは、恐怖を何とかしたいので考えるのでしょうね。

エゴにとって恐怖はよほど味わいたくないものなんでしょう。幸せゲームだから、恐怖は避けたいのです。