読売新聞の記事から。
教育現場で「哲学対話」が広がっているそうです。ルールに沿い「問う・考える・語る・聞く」を繰り返すことで、自分の考えを深めることができます。
例えば、お茶の水大学附属小学校の4年生の授業。
テーマ「つよさって何だろう?」
児童は輪になって座りボールを持った子供が話し他の子供は耳を傾ける。そして話し終わったら、挙手した子供にボールを渡しその子が話す。
どんな意見が出てきたかというと、
「人に流されないこと」
「流されても悪いことをしなければいいのでは」
「流されていることに気づかなかったらどうする」
「弱さは悪いことなの?」
「医師の強い頑固な人ばかりではケンカになる」
「強さと弱さを両方持っている人が多いのでは」
など、意見が次々と出てきたそうです。
こういう授業はとてもいいですね。考える力が付きますし、いろいろな価値感を知ることができるので、ひとりひとりにいろいろな気づきが生まれるのではないかと思います。
また、東京の大山高校では東大の梶谷真司さんを講師に迎えて生徒だけでなく先生にたいしても哲学対話をスタートさせました。
この狙いは教士の指導意欲をアップさせることだそうです。
先生自体も考える力を身につけることで、変わっていくことが期待されているのでしょうね。
ちなみに、梶谷真司さんが提唱する哲学対話のルールはこちら。
1、何を言ってもいい
2、人の言うことに対して否定的な態度をとらない
3、発言せず、ただ聞いているだけでもいい
4、お互いに問いかけるようにする
5、知識ではなく、自分の経験に即して話す
6、話しがまとまらなくていい
7、意見が変わってもいい
8、わからなくなってもいい
このようなルールがあると、一定の節度を保ちながら話しを深めることができるように思います。
哲学対話が、普通に行われるようになってくると、人の考え方や価値感、そして生き方まで大きく変わっていくのではないでしょうか。
今は知識を詰め込むようなことをするのは意味がありません。コンピューターにまかせればいいからです。
人は、新しいものを生み出したり、創造性豊かなものを創り出すことをしていくことが求められています。
だからこそ、考える力、そして感じる力を鍛えるためにもこういう学びは素晴らしいと思うし、どんんどん広がって欲しいですね。
もし、私がこんな授業を受けれていたら、人生はもっと違っていたかもしれませんねぇ^^。