罪悪感を誰でも感じたことがあると思います。
罪悪感とは、「自分が悪い」と感じることです。
罪悪感を感じてしまうのは、「○○は悪いことだ」という価値判断をするためです。
例えば、お金を盗むことが悪いという価値判断を持っている人は、お金を自分が盗むと罪悪感を感じます。
でも、お金を盗むことが悪いことではないという価値判断を持っていない人なら、お金を盗んでも罪悪感は感じません。
つまり、罪悪感は、生まれた時から持っていなくてあとから学んで身につけるものです。
したがって、人によって差があります。
例えば、害虫を殺して罪悪感を感じる人もいれば、感じない人もいます。
ただ、価値判断があまりにも違うと、社会生活を送る上ではトラブルになることがあります。
ですので、悪いことであればあるほど、共通の価値判断を持っていたほうが都合はいいです。
例えば、殺人。これを悪と考える人と悪と考えない人が同じぐらいだったら、社会は混乱してしまうでしょう。
ちょっと話しは変わりますが、以下のような問いがあります。
「人を殺すことはなぜ悪なのか」
この答えは、殺人を悪とすることを共通の価値感にするためです。
悪でも善でもお好きなようにとしたら、価値感は共通化できません。
別の観点からは、社会的幸福度が下がるので悪とも言えます。
人が殺されたら、殺された本人は不幸だし、その家族も不幸です。
また、殺した犯人の家族も不幸になります。
よって人を殺すことで社会的幸福度は落ちてしまいます。
逆に、おぼれた人を助けることは善です。
善は社会的幸福度が上がることだからです。
おぼれる人を助けたら、助けられた本人は幸せだし、その家族も幸せです。
また、助けた人の家族も幸せになります。
話しは飛びましたが、罪悪感は人それぞれ。
感じ過ぎても感じなさ過ぎても社会と調和がとれなくなります。