決まった運命があるのか、それともないのか。

この問いは誰もが考えたことがあるのではないでしょうか。

実際どうなんでしょうw。

まず、私の答えを書く前段階として人生の仕組みを話したいと思います。

人生は、1本の映画であらかじめ脚本が決まっていてその脚本通りに進みます。

脚本には、人生の出演者、イベント、出演者の思考や感情などあらゆることがすでに決まっています。

出演者は単にその脚本通りに演じるだけです。

ここまではいいでしょうか?

では、決まった運命はあるのか、ないのかの説明をします。

<人生を生きる一人の人間の視点からみた場合>

人生は映画のようなもので脚本があらかじめ決まっています。

もし、脚本の中で運命はその人の選択次第だというふうに書かれているとしたら、運命は変えることができます。決まった運命はないです。

でも、脚本の中で運命は決まっているというふうに書かれていたら、運命は決まっています。変えられません。

つまり、脚本次第で運命の意味は異なります。

<脚本を書く存在の視点からみた場合>

脚本家は人生の脚本を自由に書くことができます。ですから、決まった運命があるともないとも書けます。運命という言葉さえなくすことも可能です。

脚本家からみれば、決まった運命があるともないとも言えないですし、あるとも言えるしないとも言えますし、どちらも同時にあるとも言えるし、どちらも同時にないとも言えます。自由自在です。

まとめると、

「決まった運命があるか、ないかは、どのような視点からみるかで変わる」

ということです。

この話しの中で「人生を生きる一人の人間の視点」は、今の人生を生きる私達そのものです。

「脚本を書く存在の視点」は、私達が気づいてないけど私達でもある高い意識の存在です。