このところ身体が重いしだるいし疲れてます。
食べるとすぐに眠くなるし、眠らないと動けない。
原因は何かいろいろ考えを巡らすが、はっきりとはわからない。
・夏ばて
・老化
・メタボ
・過去のトラウマ
・精神的ショック
・遺伝的な性質
・etc
いずれかもしくは複数の原因によるものかもしれない。
体調が悪くなると、身体を動かすのが嫌になるしじっと何もしないでいると、余計なことを考えないので心まで病んできます。
心が病むとさらに体調も悪くなってきて、坂を転がり落ちるかのように心身の老化も加速するかのようです。
こうなると、ヤバイです。
ただ、何とかしなければという気持ちがあるので運動は続けているのが救いでしょうか。
私の場合、精神的な支柱が特にないのでそれが欲しいなって思いました。
例えば、宗教。
仏教にしろイスラム教にしろキリスト教にしろ何かを信じている人はとても強いですよね。
信じることは強さです。
ただ、私は宗教とかにはのめり込みたいと思ってません。なぜか、大勢で群れるのが嫌いで、押しつけが嫌なのですよね。
でも一方でさみしがり屋なので、孤独感を味わうのも嫌なんです。
ある意味わがままなのかもしれませんw。
人が何を信じようとそれはなんとも思いませんが、それを自分に押しつけられると嫌悪感を感じます。
だから、宗教はやらないしやるつもりはないんです。
ただし、惹かれるものはあります。それは、信じることで強さが得られるからです。
私が宗教で興味があるとしたら、やはり仏教それも釈迦の教えです。ただ、実践しているわけではなく、単に学びとして興味があります。教えの中で私がいいと思うエッセンスだけを自分の人生の中に取り入れたらよいと思ってます。
イスラム教やキリスト教はあまり学んだことはないです。興味がないので。
日本の神様系の教えは興味は少しだけあります。でも、効果があるなら信じようかぐらいですがw。
信じることは、強さとなると言いましたが、私の中には常に疑いがあります。
例えば、
人、仏教、哲学、科学、スピリチュアル、歴史、文化のいずれにしても真実だと思われるような事に対して、「本当なの?」って思ってしまうんです。
つまり、なかなか100%信じるとこことができないんです。
これは、人にだまされないということには役立ちますが、信じれないために人と深くつながれないというデメリットもあります。
この何事に対しても疑念の心を持つのは、私の中の”信念”です。
疑うことで、自分の身を守ろうとしているんです。
つまり、信じることを恐れているために疑うんです。
だから、宗教に嫌悪感を抱くし、科学的なことが好きで根拠があると安心します。
信じることは、保証が何もないのでだから恐怖なんです。
逆に言えば、信じることは恐れがないことでもあります。
何を信じて、何を信じないか、これってどういう人生を歩むかに直結しますね。
なかなか深いです。