コンピューターってどんどん進化しています。今や人間は囲碁や将棋でコンピューターに勝てなくなっています。
また、絵を描くコンピューター、人と会話ができるコンピューターなどが次々と出てきています。
これはある意味、コンピューターは人に極めて近くなってきているとも言えます。
「思考は真似できても、感情は真似できないのでは?」
こう思うかもしれません。
ですが、これさえも真似ようとする試みが出てきています。
人がある感情を感じる時にには、一定のアルゴリズムがあります。
例えば、大事な人が死んで悲しくて涙を流すという場合。
AさんとB君は親子。B君が事故で亡くなって、Aさんは悲しくて涙を流した。
アルゴリズムで考えると、
・大事な人が亡くなったら悲しい
・悲しくなると涙が自然に出てくる
・AさんとB君は親子
・親子はお互いに大事な人である
このように定義をした時、B君が事故で亡くなったというイベントが発生した時、結果としてAさんが悲しくて涙を流すということが発生するようにプログラムを組めます。
たぶん将来、コンピューターは人に限りなく近づいていくでしょう。
これは、もう一つの事実を連想させます。
それは、人はコンピューターと同じように創られたものだということです。
別に人を神様が創ったって言っているわけではないですが、コンピューターが人のように創れるので、人も同じではないかって思えるのです。
これは、正しいかどうかわかりませんが、遺伝子研究などがさらに進んでいくと、人をプログラミングして創り出すことが可能となる時代がいつか来るように思います。
多くの人は「倫理的に問題がある」と思うでしょうが、将来は人の価値感や考え方もどう変わるかわかりません。
タブーはいつかタブーでなくなるかもしれません。その証拠に100年前はタブーだったことが、今ではタブーでなくなっている例は枚挙に暇がありませんからね。
人の欲は限りがありません。
より美しくより若くという欲があるからこそ、整形をして美しくなろうとしたり、若返ろうとします。
遺伝子を操作して、子供には美人になって欲しい、頭がよくあって欲しい、こういう風に思う人がいてもおかしくありません。
ただ、欲望を満足させたからといって必ずしも幸せにはなれないと思いますが。
欲望を満足させるのではなく、今のままで満足するほうがよほど早く幸せになれるはずです。
人が欲を満たそうとするのが、業みたいなものかもしれませんね。