孤独感は特別なものではなく、誰でも感じるでしょうが、私は孤独感を感じて同時にその孤独を恐怖と感じることがあります。

その時にはとても怖くてその孤独感を感じたくないと強く思います。

これは、孤独恐怖症とも呼べるかもしれません。

この感覚はたまにやってくるもので、いつもそうではありません。

どうしてこのように感じるかを内観してみました。

・将来、私を愛する人がいなくなったらどうしよう

こういう思いがありました。

つまり、

私は将来誰からも愛されてないだろうということを考えてしまいそれが恐怖感を生み出していました。

愛されない恐怖。

これは、さらに見ていくと自己肯定感が少ないとも言えます。

自己を肯定できないと、「こんな自分は愛されないだろう」と信じてしまうからです。

自己肯定感が高い方がいいと言われますが、高過ぎるのも問題になることがあります。

それは、単なるナルシストになってしまいますから。

しかし、自己否定観が低過ぎるもの問題になります。何事も自信を持ってできないので、うまくいかないことが増えてしまいます。

でも自己否定することのメリットもあります。

・自己否定について考える機会となるため、自己への理解が深まる
・自己否定する人の気持ちや考えがわかる
・自己否定する人と仲良くなりやすい
・自己否定することで他者から否定されて傷つくのが和らぐ

これらを見ると、自己否定することも悪いことばかりではありません。

ですが、本当は、自己否定にしろ自己肯定にしろ、行き過ぎずにバランスが良く、そして、自己否定や自己肯定をしている自分に気付いていることが大事かと思います。

結局、自己否定や自己肯定している自分は本当の自分ではなく、自分が創りだした自分ですから。

さて、孤独感の恐怖の話しに戻りますが、孤独感を感じたくないの裏返しは、愛情が欲しいということになります。

「愛情が欲しい、愛情が欲しい、愛情が欲しい、愛情が欲しい、愛情が欲しい、…」

どうでしょうか?

くどいですよねw。

つまり、愛情に執着しているってこと、つまり愛情への依存です。

愛情への執着が強いと、愛情が得られない時に恐怖を感じやすくなります。

逆に、

「愛情が欲しいとは思わない」

のであれば、たとえ愛情が得られなくてもそれを受け入れることができます。

注意したいのは、愛情とは愛の一部であっても愛ではないということです。

愛とは、何かを定義することは難しいですが、愛情とは、心地よさを感じる感情への執着です。

一方、愛とは執着ではなく、「許し、受容、比較しない、ありのまま、etc」です。

「将来、愛されなくてもいい」

このように思えたなら、孤独感の恐怖を感じることはありません。

ただ、実際に愛されないかどうかはわかりません。

ですが自分ができることは、

「自分が愛すること」

です。

人でも自然でも物でも、自分が愛することはできます。

たぶん、これができれば、自然に周りから愛されるようになります(*^o^*)。