私は今まで恐れについていろいろ語ってきました。

恐れという言葉でこのブログを検索した結果がこちら。

https://www.tanq.info/?s=%E6%81%90%E3%82%8C

ある記事では、

「恐れとは、自己の存在や自己の存在価値を脅かすもの」

と語っています。

また、ある記事では

「恐怖は、自分が危険だと感じる時に生じます」

そして、別の記事では、

「恐れとはあなたが見たくないものをいつまでも見ようとしない時にやってくるメッセージです」(by バシャール)

恐れについてのこれらの記事、その通りだと思います。

さて、何気に録画してある番組を見ていたら、

こころの時代「何をおそれるか―本来の私を生きる―」

がありました。

この番組、以前も見て号泣してしまった番組です。

この時、記事にもしました。

こころの時代「何をおそれるか―本来の私を生きる―」

今回、改めて見たのですがまた号泣w。

安積力也さんの話しは心を揺さぶられます。

そして、その時に気付かなかったことがありました。

私は恐れを感じたくないために、恐れを他人に押しつけていたことを。

具体的に何をしていたかというと「怒り」です。

誰しも怒ったり、イライラして当たり散らしたり、すねてみたり、ぶすっとした顔をしたりすることがあると思います。

これらはすべて根っこに「怒り」があります。

で、「なぜ怒るのか」ですが、この理由は、「自分が恐怖感を感じたくないために怒る」のです。

怒ることで、何とか恐怖を弱めたい、なくしたいから怒るのです。

これは、怒ることで、怒りを相手もしくは何かに押しつけているってことです。

恐怖を感じる対象を自分以外の誰かに押しつけているのです。

これに気付いて号泣しました。

今までしたことを悔い改めたい気持ちになります。

ごめんなさい、許して下さい。
ごめんなさい、許して下さい。
ごめんなさい、許して下さい。
ごめんなさい、許して下さい。
ごめんなさい、許して下さい。

でも、これに気付けて良かったです。

今後、怒りを感じる時、自分が何をしようとしているかに気付けるからです。

そして、気づくことで、誰かに怒りを感じる時、相手は問題ではなくすべて自分の問題であり、自分で解決できるからです。