仏教では、執着を手放すことを勧めています。
つまり、こだわりをなくして気にしないってことです。
これにより、穏やかな心でいられます。静かな落ち着いた人生となります。
一方、幸せになるために何かを目標とすると、それはこだわり続けることを意味します。
つまり、執着をすることです。
では、幸せで、しかも穏やかでいることは、不可能なのでしょうか?
これは可能かもしれませんが、不可能かも知れません。
ただ何事にもこだわらず、ありのままで幸せを感じることができたら可能だと思います。かなり難しいですがw。
個人的には、こだわり(執着)をなるべく少なくするがこだわり(執着)を手放さない生き方がよいと思っています。
つまり、こだわり(執着)である「自分の夢、希望、目標」などをなるべく絞り込むってことです。
絞り込むことで集中できて、こだわり(執着)が実現しやすくなります。
絞り込むことで迷いが生じにくくなります。
自分の夢、希望、目標以外のものにこだわらないことで、生活はかなり穏やかになります。
ただ、現実は一人で生きているわけではないので、人に関わるしがらみが生じてしまい自分の夢や希望や目標以外にもこだわってしまう可能性が大です。
たぶん、人生が複雑になってしまうのは、そのためでしょう。
もし、今の人生が忙しすぎたり迷いすぎたり苦しすぎたりするなら、きっと何かにこだわっているためです。
こだわりを捨てさえすれば、それらはすべて消滅します。
ただし、こだわりを捨てられないということが悪いことということではありません。
単にこだわっていると、つらいことが消えないってことだけです。
さて、歳をとってくると、段々とこだわり(執着)は少なくなってきます。私自身の経験からもそうです(もちろん100%そうとは限りませんが)。
これは、自分の欲求を満足させたというよりも、欲求を満足させることをあきらめたり、欲求がなくなってくるためです。ただし、逆に言えば生きる意欲が減ってきていて生への執着が減り、死が近くなってきたとも言えます。
明日死ぬならば、たいていのものは不要となります。もし明日死ぬと思っていても、こだわり(執着)し続けるものがあるなら、それがその人にとって一番大事なものなのでしょう。