愛とは何か?

先日の記事「愛とは何か?」で、愛とは、

「自分のように(愛の)対象となる存在(生物、無生物問わず)を大事に思いながらその対象に意識を向けること」

と書きました。

では執着と愛はどのように違うのでしょう。

執着も

「自分のように(執着の)対象となる存在(生物、無生物問わず)を大事に思いながらその対象に意識を向けること」

とも思えなくもないですよねw。

でも、実際は違います。

執着は

「自分を大事に思いながら(執着の)対象となる存在(生物、無生物問わず)に意識を向けること」

です。

愛と執着の違いは、「自分だけでなく相手も自分と同じように大事に思っている」か「自分だけを大事に思っている」かの差です。

具体的に言えば、

・愛は、相手から見返りを求めない
・執着は、相手から見返りを求める

・愛は、束縛しない
・執着は、束縛する

・愛は、今ここ
・執着は、過去、未来

結局、自分と相手を同じように大事に思えるということは自分が不快だったり、嫌に思うことを相手に求めたりはしません。

これって、かなりハードル高いですよねw。

この世界で愛という名の付くものの多くは愛じゃなくて執着かもしれません。

今朝、ウォーキングをしていて愛と執着についてこんなことを思考していたのですが、その時に同時に

「執着を手放したらさぞ気持ちがいいだろうな」

って思いました。

断捨離とか物を買わないようにする(断捨離しなくてもいいようにすることにつながる)とか掃除とかそういうのも一種の執着からの脱却なのかと思います。

だから、実践すると気持ちがいい。

そういうえば悩みとか不安とかも執着なんですよね。

うーん、あまりにも執着のテリトリーが広過ぎる(^^;。

ただ、愛を選び執着をなくすべきだと言いたいわけではないです。

執着があってもいいでしょうし、手放してもいいでしょうね、自分次第(*^o^*)。