欲の原点、つまり欲はなぜ生じるのかについて探求をします。
Wikipediaによると欲とは、
人間(ヒト)、動物が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている。
引用元: 欲
となってます。
簡単に言えば、欲は、「生きるために必要なもの」です。
つまり、最大の欲は「生きることへの欲」、『生欲』です。
三大欲とも言われる、食欲、睡眠欲、性欲も、すべて生きることへの執着から来る欲と言えます。
これらはすべて、快楽を求める欲でもありますが、苦痛よりも快楽であるほうが生きるのには有利です。だから、快楽を求めることも生きることへの欲につながっていきます。
では、「なぜ、生きることへの欲があるのでしょうか?」
生きることを突き詰めていくと、生きているという実感を感じたいということになります。さらに、これは存在感を感じたいことです。
「私は在る」
と実感したいってことです。
私達は、ある時に「私は在る」と感じて、そして生きていることを実感し、生きたいと思うようになったのだと思います。
私は在るをずっと感じ続けたいからです。そして、この欲求を生じさせるのは、「私はない」があると気づいているからです。人は「私は在る」と感じるからこそ「私はない」という状態もあるのだということがあるのだとわかります。
そして、「私が在る」と感じている時、「私はない」という状態に対しての恐れがあります。だから余計に「私は在る」ことに執着をします。
別の見方をすると、「私は在る」という私がいるからこそ、私が在ることにこだわるとも言えます。つまり、「私」が、欲の原点になります。もし、「私」がないなら「私が在る」ということへのこだわりなどは、ありません。また、「私がない」ことへの恐怖もありません。「私」がなかったら、欲がなくなります。
仏教でいう無我の境地は、「私」がありません。渾然一体となった空の世界観です。ですので、無我の境地なら欲はなくなります。
また、ワンネスも同じことです。ワンネスは分離がないので、個の私はなくなってしまうので欲がありません。
まとめると、欲の原点、欲を生じさせているのは、「私」です。
私が存在していると実感したことが欲を生じさせます。だから、私が存在する限りは欲はなくなりません。
この世界には、たくさんの「私」が存在し、たくさんの「私の欲」が存在します。ですから、私が在り続けるためには、「私の欲」を無制限に拡大していくとうまくいきません。「私の欲」と「私の欲」の争いも増大するからです。
だから、「私の欲」を最大限に満たそうとすると、他者の「私の欲」を尊重しながら自分の「私の欲」を満たしていく必要があります。
つまり、共存共栄していくことが一番効率的に「私の欲」を満たす方法となります。
結局、人に喜ばれることをする(他者の欲を満たす)のが自分を喜ばせる(私の欲を満たす)になるってことですね^^。