私事ですが、隣の奥さん(私と年齢はあまり変わらない?)と関係がギクシャクしています。

別にケンカしているわけでなく、相手がこちらを無視するのです。

具体的には挨拶をしても返事をしない。これは私だけにではなく、うちの母以外はすべて。

理由はよくわかりませんw。

まあ、こちらも特別仲良くしたいとは思わないのですけど、気分がよくないですね。

そして、何気ない瞬間、隣を意識した時に隣の奥さんを思い出してしまい嫌な気分になるのです。

まあ、隣といってもそう頻繁には会いません。数ヶ月間、見かけないこともあります。

先日、たまたま私が帰宅した時、自転車で隣の奥さんが帰宅。

相変わらず、こちらがいないという風で無視しています。

私も、気分が悪くなり、無視。そして、家に入る時、大きな音を立てドアを閉めました。

相手はビックリしたかもw。まあ、無言の怒りですね。

でも、こんなことしたからといって私も心地がよいわけではなく、何かとそのことについて考えて、罪悪感、嫌悪感、怒りなどを感じてました。

で、夜中に起きた時、そのことについていろいろ思考してました。

近所に、何でもオープンに話す年輩のご婦人がいて、とても元気な方。この人は、ご近所でも顔が聞き、お隣の奥さんもこの人には一目置く感じで頼りにしている存在です。

私もこのご婦人とは仲はよいほうで気さくに話しをします。

で、考えついたことは、

「この婦人に中に入ってもらいお隣の奥さんと話しをするのはどうだろうか?」

ということ。

別に仲を取り持ってもらいたいわけではなく、単にお隣の奥さんと話しをする機会を作りたいと思ったんですよね。

隣人といっても名字だけしか、知らないし、性格も仕事もどんなことが好きかも、何もかも知りません。

この知らないということは、不安、恐れを生み出します。これは、お互いです。

なので、相手を知ること、相手に知ってもらうことが必要かと思いました。

で、ここで話しは全く別の方向になるのですが、ふと、

「家族を殺された時、遺族が『犯人はなぜ人殺したのか?』を知りたがるのはなぜだろう?」

こういう疑問が湧きました。

そして、

「遺族は、犯人の思いや考えなどを知り犯人のことがわかれば、犯人を赦すことができるかも知れない」

と遺族が無意識的または意識的に思っているのではないかと、私は思いました。

赦す、許す。この2つの違いですが、許すは許可するという意味からわかるように行動や言動する前段階で相手のことを受け入れること。一方、赦すはすでに起こってしまったことに対して受け入れることです。なので、ここでは、赦すを使っています。

結局、「犯人のことを知りたいのは犯人のことを赦して、心の苦しみを取り除いて、安らかになりだい」のだと思います。

言い方を変えると、「犯人を赦して自分は楽になりたいので、犯人の思いや考えを知りたい」ということです。

話しを戻します。

結局、私も隣の奥さんのこと(思い、考え方など)を知ることで、相手を赦して自分が楽になりたいのだと思いました。

赦し。

これは本当に自分のためのものですね。相手のためじゃなくて。

相手を赦すということは、自分を赦すことってことです。

私のどこかに、罪悪感が隠れているのかも知れません。

「隣の奥さんに無視されるほどの罪を私は知らない間に犯してしまった」という。

ただ、真相はまったくわかりません。

結局、私が一番したいことは、赦しです。そして、楽になりたい、安心したいというのが目的です(存在欲求が満足)。

もし、心から赦せたら、たとえ、隣の奥さんがこちらをずっと無視続けても、怒りや恐れやイライラなどを感じないでしょう。

なぜなら、その奥さんの行為や思いや考えを私が赦しているから。だから、気にならないのです。

キリスト教では、「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」という言葉があります。

まさに、この通りですね。

私達は他人が嫌な気持ちになったり、悲しんでいる時に、意識的、無意識に罪悪感を感じてしまうことがあります。

これは、思い込みかも知れませんけど、だから、自分が赦されたいと思ってしまうんですね。

私は赦されたいって意識的には思ってないのですけど、赦したいと赦されたいは、逆から見れば、同じことです。

私達は相手に対して、自分を投影してしまうので。

こういうことをツラツラと思考していたら、だいぶ心の中が整理されて気持ちが楽になりました。

大事なのは、隣の奥さんに対する私の気持ちってことです。赦すことができたら、たぶんもうそれでいいんです。

赦せないなら、隣の奥さんのことをもっと知るなり、話してみるなりして、相手を知ることで赦せないを赦せるにする可能性が高まります。

たぶん、赦せないままずっと放置していたら、ずっと赦せない可能性があります。

時間が解決してくれることもありますが、時間は無制限にあるわけではないので、気づいた時に何かをしたほうがいいでしょうね。

善は急げ(*^o^*)。