以前も話したことがある津留晃一さん。
ネットにある音声の中で、恐れの源?について話されていました。
恐れは人それぞれでもあるし、人類共通の恐れもあります。
自分に対して「恐れの源は?」と問いかけてみると、
恐れの先には、
・善悪の判断
がありました。
例えば、死ぬのは怖いことですよね。そして、できれば長生きをしたい。
これは、
生きてることはいいこと、死ぬことは悪いこと。
こういう善悪の判断があります。
もし、死ぬのはいいことでも悪いことでもない。生きているのはいいことでも悪いことでもない。
こう思えたら、恐れは弱まる感じがします。場合によってはなくなるかも知れません。
善悪の判断しているいろいろなこと。
・勉強ができるのはいいこと、できないのは悪いこと
・美人はいいこと、美人じゃないのは悪いこと
・痩せているのはいいこと、太っているのは悪いこと
・健康はいいこと、病気は悪いこと
・お金があるのはいいこと、お金がないのは悪いこと
・結婚しているのはいいこと、結婚してないのは悪いこと
・いじめをしないことはいいこと、いじめをすることは悪いこと
・犯罪をしないのはいいこと、犯罪をするのは悪いこと
・整頓されているのはいいこと、散らかっているのは悪いこと
・etc
まだまだ、たくさんあります。
もし、この判断をすべてなくしたらどうなるでしょう?
悪と思っていたものを悪ではないと思い、善と思っていたものを善でないと思う。
すると、心の中にある嫌な感じがスッキリする感じがします。
ただ、どうしてもこの善悪の判断はなくすことができない。
このように思ってしまうことがありますね。
それはなぜなのか?
たぶん、自分の存在、命などとても自分にとって大事なものに関わるからだと思います。
興味深いです。