「なぜ生きるのか?」
人間にとって最も基本的な問いです。
この答えがわからなくて、絶対的な何かに求めてしまうと、神様的宗教など絶対的なものに頼らざるを得ません。
一方で、この答えを人が自分で決めてしまえば、答えは価値感の数だけ無限に存在します。
「なぜ生きるのか?」
これは、ある意味自分の存在理由を問いかける問いです。
つまり
「私は誰?」
です。
結局、生きることは「私が誰か?」を探求する旅ではないかと思います。
ただし、存在しなければ、この問い自体を発する人はいなくなり答えもありません。
つまり、私が存在すると、必ずその存在理由を知りたくなる、つまり私を知りたくなるということです。
たぶん、私を知ることで存在感を感じられるからです。
結局、私が存在すること自体が分離感を感じさせるために、私の存在感を満たすために私が誰かを知りたくなるのかと思います。