人は自分が意識的に生きていると思っているのだろうが、ほとんど無意識で生きている。
普通、何かをやる前に何かをやろうと意識してやっていることはあまりない。
考えなくても勝手に身体は動かせるし、考えは浮かんでくる。
意識的に生きようとすると今ここに意識がありすごく集中力がある。たぶん、釈迦とか悟った人は今ここにいるのですごく意識的に生きていた(る)はず。
私達が意識的に生きれないのは、無意識で生きているのが当たり前の状態だから。
意識的に生きるのはなかなかできるものではないが、生きようとすれば生きれるはず、意識すれば。
私達は自分の経験を意識的にしないが、これを意識すればするほど本来の自分となる。
意識をすればするほど、気づきが増える。無意識だと普段なにも気づかないのに、意識をすると気づく。
意識すればするほど、この世界の何もかもが素晴らしいと感じる。それぐらい意識するのとしないのでは違ってくる。
瞑想や座禅などで思考を消して感じることは、直接経験の世界なので意識的に生きることになる。それは、今までテレビ画面を通してみていた食べ物の味を直接、口の中に入れて味わう感じ。
意識的に生きることは目覚めとも言われる。なぜなら、意識的になると無意識状態はまるで夢をみていたかのように感じるから。
じわじわと意識的に生きる人は増えているように思う。意識的に生きることは自由度が増す。制限世界の中でも自由に何でもでき思い通りにならないことが気にならない。
一方で無意識に生きているとジェットコースターに乗っているようなもので、苦しかったり楽しかったり人生いろいろ。
意識的に生きると、世界は変わる。なぜなら、世界は自分の投影だから。