子供の頃から、親にこのように言われて育てられた人は多いと思います。

私もそうです。

そして、これを当たり前のこととして思ってきました。

ですが、これって、今は、違うのではないかと思うようになっています。

ちょっと、考察してみたいと思います。

まず、迷惑とは何か?

「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること」

です。

つまり、迷惑とは、客観的です。

どんなことでも、100%誰もが迷惑と感じるようなことはないと思います。

例えば、いびき。これを迷惑だと思う人は多いでしょうけど、中には別に気にならないという人もいるでしょう。

ただ、多くの人が迷惑と感じることは、社会にとって問題となるため、規則や法律なので、迷惑な行為には罰則や罰金が設けられています。

人に迷惑をかけてはいけないとは、

「人に不利益をもたらしたり、不快感を感じさせてはいけない」

ということです。

ただ、人が集団で生活していると、迷惑をかけてしまうこと、かけざるを得ないこともあるでしょう。

なのに、「人に迷惑をかけてはいけない」となると、とても生きづらい社会になります。

例えば、車椅子の方がでバスに乗ろうとしていたら、バスの運転手に「時間がないので次にしてください」と言われたそうです。

たぶん、バスの運転手にとって、時間を守ることが正しことで、時間を守らないことは、他のバスに乗っている乗客やこれから先の停留所でバスに乗る乗客の迷惑になるので、このような行動をとったのでしょう。

バスの運転手の行動を正しい行動と思う人もいるでしょうけど、逆に、そんなに余裕がない社会に、居心地の悪さを感じる人もいるのではないでしょうか。

「人に迷惑をかけてはいけない」は、逆に言えば、人に助けてもらいたということを言いづらい社会にしてしまうように思えます。

だからこそ、今のようにお金を貯めこんで将来に備えたり、ちょっとしたことも人に頼まず無理して自分でやったり、人を信頼できない社会になってしまっているのではないでしょうか。

昔の日本はもっと迷惑に対して大らかであったように思います。

「人に不利益をもたらしたり、不快感を感じさせてはいけない」

ですが、意図的に、相手を苦しませようとして、このようなことをすることは確かにいけないことです。

ですが、そのような意図がない場合は、仕方ないことかと思います。

迷惑をかけられた方は、「天災みたいなもんだからあきらめるしかない」と、思うしかないw。

ただ、迷惑をかけた方は、意図的ではなくても相手に謝罪して、人に不利益をもたらしたら、それを弁済するなど、何らかの責任は必要かと思います。

まあ、迷惑をかけられたほうが、弁済など不要だと言ったなら、弁済しなくてもいい可能性もあります。

結局、迷惑をかえた方と迷惑をかけられた方が話し合いなどをして、双方が納得できる解決方法で帰結するのがよいでしょう。

結論としては、

人に迷惑をかけてはいけないのか?

への私の答えは、

意図的に相手を苦しめたり、困らせたりするために人に迷惑をかけてはいけない。

このような意図がなくて、人に迷惑をかけた場合は、迷惑をかけた方と迷惑をかけられた方がお互い納得できるまで話しをして、解決する。

迷惑内容によるが、単に謝罪だけで解決する場合もあるだろうし、弁済が必要となることもありえる。

以上。