あらためて執着について考えています。
なぜかというと、苦しみを感じた時にそこには、執着する自分を発見するからです。
執着とは、とてもつよいこだわり、それでなければ絶対ダメという強い欲望です。
執着するものは、人により様々ですが、いろいろあります。
人、もの、お金、名誉、栄光、etc。
ただし、これからはすべて無常。つまり、変わっていくもの。
ですので、自分が死ぬまでの間、ずっとあるとは限らず多くは失われていきます。
なので、執着してしまうことは、苦しみの元を持っていることになります。
執着を手放すことができれば苦しみはなくなりますけど、それほど簡単ではないことが多いです。
だから、執着なのですけどね。
なぜ、執着するのか?
その大元は何なのか?
それを探求して見つけることができたら、執着が薄れたりなくなったりして、スーッと軽くなるかも知れません。
なぜなら、「なーんだ、そんなことに執着していたんだ」って気づけるので、自分が執着しているものの価値が下がるからです。
私の場合ですが、一番執着しているのが、「恐れを感じたくない」「安心していたい」ということへの執着です。
これが全くないと、恐れ知らずだったり、無鉄砲であぶなっかしい感じになるかも知れませんけど、執着してしまうと、過剰に恐れをいだき、常に不安状態になってしまうのです。
人によって執着しているものは異なると思います。
でも、ある意味、人は執着するからこそ、人生のいろいろな経験ができているとも言えます。
執着することで、大きな悲しみや孤独感、不快憤りや憎しみ、不安や恐れを感じるからです。
なので、執着は様々な経験をするために必要な道具でもあるのかなと思います。
ただ、執着は少ない方が楽に生きられますけどねぇ^_^;。