いつもではありませんが、私は今、心が落ち込んでいます。
ストレス感があり、苦しくてつらい感じです。このままだとつぶされそうな圧迫感があります。
ストレスの原因を外に求めると、家族のこと、自分のことなどいろいろと出てきますが、真の原因は違うということがわかっています。
ですが、わかっていながらもなかなか抜け出せないことがあります。これは理屈じゃないです。
*冷静になれば理屈です。これこれこういうことがストレスを引き起こしているという感じで説明ができるはずです。
抜け出すことがなかなかできないとき、とりあえずは逃げます。
私の場合、その一つの方法が、散歩です。家にいると息が詰まるんです。
外は空間的にも広がってますし、家とは雰囲気が違います。
歩けば、人にも会うし木々や花も生えているし、いつもとは違う音も聞こえます。
ですが、歩いている時にはあまり考えが出てこなくなり、無思考になるのが一番よいです。
これは、座禅や瞑想と同じことです。
こう見ていくと、ストレスを感じる直接の原因が見えてきます。それは、「自分が考えていること」です。
考えが自分を苦しめて、不安や恐れの感情を沸き立たせています。
こういう時には、TVでドラマを見てもニュースを見ても、落ち込んでしまいます。虚しさがこみ上げてきてしまって、どうしようもなくなりパニックになってしまうのではないかと思うぐらいです。
この状態になった時には、かなり心が病んでいます。
他に抜け出す手段としては、人です。電話でもネットでもリアルでもよいので人と話すことで、「自分が考えていること」から人のほうに意識が向かいます。
ただし、またひとりになって考えてしまうと、心がまた落ち込んでしまったりします。ですが、人と会ったり散歩をすることにより、少しは心が回復しているので落ち込み具合は少しはましになります。
また、こうやって文章に書くことも気分が落ち着きます。
なぜなら、自分自身の中にある思いや考えをはき出すことで、自分を客観視できるからです。
まとめると、
『自分を苦しめる考えが感情を作り、その感情が自分と同一視されてしまうと、苦しみそのものとなる経験をしてしまう』
ということです。
*自分の考えを100%信じていると100%真実(自分にとって)となり、リアルに感情を感じます。
ここでの1つのポイントが『自分を苦しめる考え』です。
たとえば、私の場合は、
「将来に対する不安」
があります。
私はひとりで生きていけるだろうか。
私はこのままでは孤独死するのではないだろうか。
誰にも看取られずに死んでしまうのはつらい。
死んでしまうと自分がなくなるのが怖い。
このような妄想をすることで、自分で自分を恐れさせてしまうのです。
ヤフー知恵袋などで不安や恐れから、眠れなかったり食べれなくなったり苦しくて死にたくなってしまうので、どうすればいいのかと助けを求める人がいます。
こういう人は、私同様に助けを求めている人です。助けを求めるということで、「自分を救ってくれる回答が得られるのではないか?」と思っているんです。
また、助けを求めること自体も自分を客観視できるので救いにつながります。
私も検索エンジンを利用して、答えを見つけだそうと試みます。よい答えつまり自分でもハッとするような納得できる答えが見つかった時は、それは本当に救いとなります。
そういう意味ではインターネットはとても役に立つツールと言えます。
ここでのもう1つのポイントが『分離感』です。
弱気になったり、ストレスを感じている時、そこには、孤独でひとりで耐えているひとりぼっちだという感覚があります。
これは、自分を助けてくれる人がまわりにひとりもいないという分離感があるのです。
人に助けを求めたり、私のように散歩をするのは、その分離感から逃れたいという思いがあるからです。
人はひとりでは弱い存在であり生きていけない存在です。これは、誰しも同じことです。
中には、「私は孤独に強い。ひとりでも平気だ」と言う人がいます。
ですが、それは大いなる勘違いです。ひとりで大丈夫だと言う人だって多くの人の支えがあるからこそ、生きているのです。
毎日食べる食事の材料、食事を作る道具、仕事で使うパソコン、歩いている道路、寝るための布団、どれ一つとっても自分で作りだしたものなどはないはずです。
つまり、誰もが支え合わないと生きていけないのです。これは、誰しもが頭ではわかっています。
とてもありがたいですよね。
そして、誰しもがすべての存在と何らかの形でつながっています(スピリチュアル的な意味も含め)。
ただ、分離感を感じている時には、つながり感が失われています。
そのために、孤独感、悲しみ、苦しみをより感じやすくなっています。
ここまで見てくると、落ち込まないように(完全には無理かも知れませんが)するには、どうすればよいかが見えてきます。
それは、
・自分を苦しめるような考えをしないこと
・人や自然などあらゆるものとつながり感を持つこと
です。
これは、自分自身への備忘録ですので、他の考え方もあると思います。
もし、あれば教えてもらえるとありがたいですね。私の視野が広がりますので。
ここまで書いてきて、だいぶ心がスッキリとしています。
おそらく書くことを通して、自分を苦しめるような考えからも離れて(なくなったわけではないですが)、つながり感も増えた(文字を書くことで客観視ができて、別の意識の自分とつながれる、またこれを読む読者とのつながりもできると思える)のだと思います。